49才 誕生日のご挨拶 『飽きないもの/こと』 

みなさん、こんにちは。

一年の内で最も日が長いのに、梅雨で曇りがちな空。そんな星のもと49年前の6月21日に生を受けました曽我です。

各方面からお祝いのメッセージをいただきましたが、お返事として、こちらの文章でまとめてみました。

例によって長い文章です。お時間ありますときに、ぜひご一読ください。

子供の習い事から考える

息子が一年前にサッカーを始めました。
子供が何かものごとを始めたとき、
本当に続くのかな、という思いがよぎります。


▲子供の習いごと。つらいことはあっても長く続けて欲しいという親心。

自分のことを棚に上げて、とはよくいったもので、私も小さい頃は、いや、今でも、色んなことを始めてはよく飽きてしまいました。

物事を飽きないで続ける、ということは小さい頃からのテーマでもあります。

どういった工夫をすれば、長く続けることができるのか。そして飽きてしまったものについては何が原因だったのかな、と考えます。

曽我が継続できていることの一つは英語の学習。
そして合気道。最近だと写真撮影も続いています。


▲光を読む作業が楽しい写真。自然光の中に、疑似ストロボを想定できるようになるとさらに表現の幅が広がる。

この続いている三つに共通すること。それは「良き人に恵まれた」ということに尽きます。

逆にやりたいと思っているのに続かないことの一つがスペイン語。

スペイン語は17才のときにコスタリカにも留学させてもらったりして、下地は出来ているはずなのになぜか上達していかない。流ちょうに言葉が出てこない。進んで学習する気になれない。

そうか「良き人」をスペイン語学習に見つけないといけないのかも知れないな。こんなときにはSNSを活用して、情報発信から始めるか。

なんて考えて、最近はfacebookにスペイン語で投稿することが多くなりました。

誕生日を節目に、「飽きること」について考えています。

▲まずは定番NHKのまいにちスペイン語。この辺から始めるとするか。

英語でさえ、営利目的を作業にしてしまうと飽きてしまう

例えば、続いている英語の学習を例に話してみます。

私が英語を好きになったきっかけは、中学一年生のときです。
昔は英語の授業は中学一年生から始まっていました(今は小学四年生からですね)。

当時真君の頭の中で考えていたことはこうです。

「みんなが一線に並んでいるのなら、スタートダッシュ決めれば目立(って女子にもてる)んじゃないか」

そこで英語の教科書を片っ端から読みあさって、その勢いのまま得意科目になっていったのでした。中学生のもてる為のエネルギーはあなどれないですな。その後、

    コスタリカへの留学試験。
    筑波大学への推薦入学試験。
    就職時のペップトーク。
    外資系への就職。

英語には人生の節目で助けられることが多く、現在翻訳の仕事をする上で経済的にも助けられています。

ここで問題にしたいのは、「この英語でさえ、営利目的を作業にしてしまうと飽きてしまうことがあった」事実。

例えば、六本木で英文経理の仕事をしていたときのこと。東京六本木摩天楼ビルの34階で働く経理のマネージャーと言えば肩書きはりっぱですが、英語のレベルは実は大したことありません。日常遣いの経理タームは一覧表的に覚えてしまえるし、事務所の中で使う経理的な英語は限定的なもので事足ります。

当時私は英語に飽きてました。

「お金を稼ぐための英語であって、思ったことがすらすら口をついて出てくるような英語ではない」

という思いです。一方で、たまに事務所にやってくるサイマルさんから派遣される本当の英語のプロの通訳にも納得いかないものがありました。

例えば、経理の会議でトップが話す英語を流ちょうにその場で日本語へと直していくのですが、経理の専門的な話になるとニュアンスを間違えていたり、全体の趣旨を取り違えていたりしました。今考えてみれば当たり前の話で、内部の細い事情を知らない外部の通訳者は、発言される内容を深く考えることなくそのまま文字として置換ていくしかないので、専門用語(例えば、繰延資産の償却 = amortization of deferred assets と言ったような専門用語)を正確に覚えていられないし、覚える必要もないのです。

でも当時私の印象は「ははん、サイマルさんから派遣されるプロの通訳でも、完璧に英語を扱えるわけじゃないんだな」というなめた態度。

そういう自分はといえば、小さい専門分野を守りつつ生活の糧を得るための英語をほそぼそ使っているだけ。

自由な時間があったとしても「この分野の英語の勉強したって、仕事では使わんしな・・・」と考えてしまい、頭に経理以外の分野の英語が定着しません。むしろ、仕事で使わない、という免罪符に照らし合わせて、ボキャブラリーや表現の幅がどんどん狭くなる。つまらなくて、飽きてしまうのです。

▲六月の花と言えば、紫陽花。曇り空と紫陽花の青が馴染みの風景。

目的論的に考えると、見え方が変わってくる

行為の中に金銭的な欲得が入ってしまうと、その行為に魅力を感じられなくなる。

功利的な臭いがして、それは純粋な行為としては不純なのではないか、と考えてしまう。だから、営利目的の行為をいやしいものとして、避けたくなる意識が働く。

でも冷静に考えると、営利を追求するから行為が汚くなるのではないでしょう。
営利を追求するならするで「勝ち切る」ものを作る必要がある。その勝ち切るものを作る行為は、純粋な芸術作品を作る上でも良い訓練になる、と捉えてはどうだろうか。

勝ち切ることができないから、言い訳したくなる、という負の考え方に陥ってしまっているのではないか、と気付けるようになったのは写真のレッスンを通じてでした。

▲ハイアマチュアから抜け出せないまま停滞する技術。どうやって停滞を克服して、深い世界に足を踏み入れることができるのか。

写真技術の向上。ここでも人に恵まれました。

ストックフォトのモデルをすることで知り合うことができた、プロのフォトグラファー香川賢志さんにオンラインでレッスン[1]をしてもらっています。 

例えば自然光の中で撮影するときにも、ストロボの構成を意識できるようになる視点は目からうろこ。斜めの逆光で人物を撮影するとき、どうしても顔の影が濃くなります。

そこで、ストロボを前から焚いたり、横から焚いてアクセントライトにするのですが、それが自然光だけでもできる、というお話でした。


▲左奥から光が差す。それでも、手前の影を極力押さえることができる。

ストロボを学ぶことで、自然光の構成を人工的に再構築できる。商業的な営業写真を撮ることにも全力を尽くす。

前ボケ、後ろボケを効かせて笑顔だったら家族写真はまず合格、というような態度からつくられるありきたりの写真。
そんな、どこにでもあるような家族写真とは一線を画すような一枚を多くでも残すこと。

飽きないどころか、

ますます技術を向上させていきたい、

という気持ちになれる。

以前は営利目的のものに工夫を凝らすことが卑しく感じていました。写真技術の向上にともなって、ふとしたことからこの有名な二冊の本を読んでみました。

▲ アドラー心理学の基礎固め。意外にもオリジナルは日本語が先「嫌われる勇気」

▲ 目的論的に考えるとき、実践編として参考になる本。オリジナルは日本語で「幸せになる勇気」。

この「飽きてしまうこと」に対して、アドラーの目的論の枠組みでとらえなおせば、

稼ぐことができない自信のなさから、その行為をおとしめようとしているだけ

なのかも知れない、と思い至りました。現在持っている目的に照らし合わせると、過去の解釈が変わってきます。

この場合必要とされる勇気とは、金銭的な流動性を確保できるところまで「勝ち切る」こと。
その実力の中で、収益の土台とするための訓練と捉える。

何かをするときに、ストックとして貯まっていく感覚がないとやりずらい。
鍋の底が開いた状態ではがんばれない。

単純に金銭的なことだけでなく、知識や経験もそう。

砂が広がって、両手から落ちていくのは仕方がないとしても、すくなくともすそ野が広がっているイメージが持てないとつらい。続かない。

「勝ち切」って技術をストックする。その訓練として営利的行為にこそ全力を尽くすこで「飽きない」自分を発見できました。

50才まであと365日

無事49才を迎えられた2020年6月21日の世界は、まだまだコロナ禍まっただ中です。
世界の国々との相対比較で日本を考えると、不利な点、劣っている点は沢山あるけど、同時に恵まれている点は沢山あります。

  • 日本は天然資源はないといっても、水資源は豊富。
  • コロナ禍でもなんとか医療崩壊を防げている。
  • 政治システムはなんとも残念な政策が目立つけど、独裁政治よりはマシじゃない?

50才までの一年間。「飽きてしまわない」技術を手に入れた真くんは、この日本の茨城県つくば市で、まだまだ走れる気がした。


▲大好きなイチジクをチョコレートと合わせたケーキ。食べたことのないイチジクのスポンジは珈琲との相性が抜群。

  1. 詳細はこちらから 香川賢志さんの写真教室
2020.6.21