大石真 著「チョコレート戦争」の「金泉堂」のモデル

文字による表現が優れているのは「読み手の想像力の中で、思い思いの映像や感覚を喚起できる」点にあります。

あくまで巧く表現できれば、の条件つきではあります。でも成功すれば、想像力が生つばを飲んだり、涙がでたりといった具体的な身体の反応を起こして、読み手を魅了します。

画像や映像は表現としてありのままに映すことが強みであり、同時に弱みです。つまり、画像や映像は読み手の想像力を奪ってしまう、という意味で弱点なのです。

村上春樹も

ビールが飲みたくなる、パスタを作りたくなる、というように、具体的に読者を動かす文章を書きたい。

とどこかでコメントしてました。

みなさんは文章を読んで、何か無性に食べたくなったり、飲みたくなったりする、という経験がありますか。

今回話題にしたい本はこちら、不朽の名作「チョコレート戦争」


△曽我は大石さんの「チョコレート戦争」を読んで、たまらなくエクレア(=エクレール)を食べたくなった、という強烈な記憶があります。もしかしたら私が甘党になったのは、この稲妻[1]に撃たれたせいなのかも。

「チョコレート戦争」の文章の白眉 「エクレール」

児童文学者 大石真さんの「チョコレート戦争」のあらすじは財団法人大阪国際児童文学館の子どもの本100選の説明が秀逸なので、PDFリンク[2]を貼っておきます。

ちょっと長いのですが、エクレア(=エクレール)が登場する部分を引用します。

エクレール それはシュークリームを細長くしたようなもので、シュークリームと違っているのは、表面にチョコレートがかかっていることだ。これをたべるには、上品ぶってフォークなどでつついていたら、なかにいっぱいつまっているクリームがあふれだして、しまつのおえないことになる。そばを、つるっとすくってたべるように、いなずまのような早さでたべなくてはならない。そのため、フランス語でも、この菓子の名前を「エクレール(いなずま)」というのである。

明は、口をできるだけおしあけて、その大きなエクレールを口のなかにおしこんだ。すると、かたいようでやわらかい、やわらかいようでかたい、その皮のなかから、かおりのよいクリームが、どっとながれこんできた。

うまかった、舌がしびれ、口じゅうがとろけそうなほど、そのエクレールはうまかった。明は、目をつぶった。

私がこの文章を読んだのは40年ほど前ですが、いまだにこの文章を初めて読んだときの身体の反応を覚えています。

咽の奥がごくりと鳴り、
つばが口中に溢れました。

この描写が巧いのはもちろんなのですが、ポイントは主人公明(あきら)くんの置かれている立場にあります。

明君は金泉堂の社長からぬれぎぬをかけられている。しかし現場に駆けつけてくれた若い桜井先生は、しっかりと明君たちのお話しを冷静に聞いて、明君側の立場を理解してくれたのです。しかし双方どちらにも確たる証拠がない。よって物別れになります。別れ際、桜井先生はこう言い放ちます。

「わたし、これまで、この店のケーキが大すきでした。でも、これからは、もう、けっして、たべようとは思いませんわ」

自分の無罪を信じてくれて、自分たちの肩を持ってくれた桜井先生が「もう、決して食べない」と言い放った金泉堂のエクレールを、明は我慢ができず食べてしまった。裏切りの味が加味されているのです。

背筋をかけのぼる、抗えぬ「背徳のおいしさ」。この二重構造に小学校五年生の真君はやられてしまいました。「俺は、このエクレールなるものを食べずには死ねない」と決意したのでした。

母親にこの「チョコレート戦争」って本に出てくる金泉堂というところに行きたい、と言ってみると「さぁ、どこにあるのだろうね。大石さんに手紙を書いてみたら」との答え。

幼少期の私はその言葉をそのまま受け取り、実際に著者の大石真さんにファンレターを書いてみました。この金泉堂はどこにあるのでしょうか。エクレールはどこに行ったら食べられますか、と。

昭和57年5月3日 金泉堂のお城

大石真さんからいただいたお手紙を公開いたします。


△消印から判断すると、昭和57年(1982年)5月3日のお手紙。曽我少年は11才小学校五年生。気になる、金泉堂のヒントとなったのは・・・・

△随所にある手紙の染みが、経年を物語ります。

こちらから出した手紙は、もちろん私の手元にはないのですが、きっと「金泉堂」の住所やそのお城について聞いたのでしょうね。実際のお店はどこにありますか、みたいな感じで。

それに対してのお返事がこちらです。

「松本市の開運堂の飾り窓がヒントの一つに・・・」

可愛らしい字、そして児童文学者らしい気遣いが散見されます。

私はこのお手紙をいただいてから、松本市の「開運堂」[3]への思いが募りました。

昭和57年9月4日 二通目のお返事

金泉堂のヒントは、松本市の開運堂にあり、という情報をゲットした少年まことくんは、早速行動開始です。

母親に「開運堂に行きたい」旨を告げるとあっさりと快諾されました。これは親の立場になってみると分かるのですが、子供が眼を輝かせて何かをどうしてもしたい、という要望を出したとき、親として考慮することは三つしかありません。

  • よい社会勉強になるのか。
  • 実際に身体を動かすことなのか。
  • 子供にとっての予算感に見合っているか。

たとえば、綿菓子製造機を購入して死ぬほど綿菓子が食べたい(=たいして社会にかかわりもなく、一切身体も動かさず、大金が欲しい)、なんて言われても肯定できませんよね。

今となっては記憶が定かではないのですが、夏休みを利用して、母親、私、弟の三人で松本市へ赴いたのでした。

岐阜県中津川市から見ると、長野県松本市は都会です。その都会の一等地に開運堂はあり、とても立派な建物だったことを覚えています。そして、店内を色々見て回っても、チョコレートのお城はありませんでした。そこで母親がお店の従業員の方に事情を尋ねてくれたのでしょう。


△チョコレートの城はもうなかったものの、シュークリームは食べました。

△こちらの住所をわざわざお調べいただいたり、随所に優しさのこもったお手紙です。

大石さんからの二通目の手紙からすると、こんな状況なのではないでしょうか。

  • 開運堂では一時期、チョコレートのお城がショーウィンドーに飾られていた。
  • その飾られていた時期にたまたま大石さんがそれを眺め、インスピレーションを得た。
  • その後、そのチョコレートのお城は撤去された。もしくは別のものに変わってしまった。

このような経緯で、チョコレート戦争の金泉堂のチョコレートのお城は、そのモデルが松本市の開運堂にあった、という事実はいままで公表されてこなかったのでしょう。少なくとも私がこの記事を書く前には、そのような情報は明らかになっていませんでした。

昭和58年9月27日 三通目のお返事


△三通目のお返事は一年後にいただいてます。

△今度は一人で赴いたことを自慢気に報告したんでしょう。

三通目のお手紙には、一年後に私が一人で松本に赴いたことが書いてありますが、正直30年以上前のことなのでよく覚えていません。

でも一人でも行ったんだよ、という気負いを大石さんに分かって欲しくて手紙を書いたんでしょうね。後半はやや冗長な趣味の話。きっとこちらから振るべき話題もなくなってしまったのでしょう。これで、書簡のやり取りは終わっています。

その後大石さんは、1990年に亡くなられています。ご出身地和光市の白子コミュニティセンターでは直接原稿や遺品などが在るそうなので、ぜひ機会があれば寄ってみたいです。

購入はこちらから

△大石真 著「チョコレート戦争」の購入はこちらから。色々版がありますが、新・名作の愛憎版がお勧め。イラストが素朴でよき昭和時代の絵柄を味わえます。


  1. よろしかったら、上記蛇足の文章「昔の彼女が誘惑してくる」お話をご覧下さい。
  2. 財団法人大阪国際児童文学館の子どもの本100選
  3. 松本の開運堂のHPはこちらhttps://www.kaiundo.co.jp
記事公開日: 2020年05月12日
最終更新日: 2020年10月01日

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