村上春樹「騎士団長殺し」を読んで「ねじまき鳥」のなぞを一個解いた、というお話

2019年3月1日に「騎士団長殺し」が文庫化されました。

それを記念して、雑誌「波」の中で俳優の高橋一生さんが書き下ろしの書評エッセイを書かれています。web siteを検索してみたところ、なんと全文が書いてありましたので、ご案内いたします。

【『騎士団長殺し』文庫化記念特集】高橋一生 「騎士団長殺し」に出会う

※PDFにてもご確認いただだけます。

ご挨拶

全国の村上主義者のみなさん、こんにちは。曽我真です。

「騎士団長殺し」が2017年2月24日に発売されてから、ハルキストがどうのこうの、って話題になってますが、地下に潜る村上主義者は意に介しませんよね。

実は今回長年謎のまま回収されていなかった個人的な疑問が、「騎士団長殺し」を読んでいる途中で一つ解けましたので、もしくは、解けたような気がしましたので記事にしてみました。早速行きます。


△時間をかけることが洗練された復讐って、どういう意味?

この名言を覚えていますか「時間をかけることを・・・」

「ねじまき鳥」で頼りになる叔父さんのセリフがありましたよね。

「時間をかけることを恐れてはいけないよ。たっぷりと何かに時間をかけることは、ある意味ではいちばん洗練されたかたちでの復讐なんだ」

私は本日「騎士団長殺し」を読むまで、このセリフの言いたいこと、意味合いが分かりませんでした。
もちろん、これはあくまで私個人の疑問であり、とっくに得心のいっている方もいるでしょう。ただ、少なくとも私の中ではうまく回収できずにいたので、今回の「騎士団長殺し」にはひそかに期待していました。
流れとして「ねじまき鳥」系の井戸を掘っていく話なのか、それとも「カフカ」的なカラフルでファンタジックな話なのか。曽我は前者を希望していたのです。2月24日書籍が届き、第1章を読み始めたところ希望は叶えられた、と確信しました。

The best revenge is to live well.


△復讐するつもりで、自分が不幸になってしまっては相手の思うつぼ

洗練された形の復讐、と聞いて曽我が思い浮かべるのは英語の慣用句。

The best revenge is to live well.

です。このフレーズの意味するところには合点がいっていました。

誰か復讐したい人がいたとしても、それを直接遂げることは社会的に問題が発生します。例えば、端的な話その相手を物理的に消し去ってしまうと、こちらの心の中に懺悔が残ります。おまけにこちら側には社会的な地位が損なわれてしまいかねないリスクがあります。

復讐するつもりで、自分が不幸になってしまっては相手の思うつぼですよね。物理的に殺傷ではなく、何がしかの影響力を行使して社会的な抹殺を試みたとしても同じこと。

自分の中にしこりが残ってしまって、復讐を遂げた相手のことが自分の心から離れないとすれば、それは相手にまだ拘りがあり翻ってこちらの心的負担が増えていることになります。

だから、よく生きることが、最高の復讐になる。

つまり、自分が充分満足するような形で生きていて、その復讐したい相手さえも綺麗さっぱり忘れることができれば、全く意に介さないことができれば、それが最高の復讐になります。復讐という気持ちが消えてしまうこと、そして他人も羨むくらいの生活が送れれば、復讐の相手も「くやしい」と思うかも知れない。思わないかも知れない。どちらでもかまわない。そう、それこそが

ある意味ではいちばん洗練されたかたちでの復讐

となるのです。洗練というのは、自分が不幸になってしまうようなリスクがない、ということですね。社会的な地位を脅かされることがない洗練された方法。それがto live wellなのだ。そこまでは理解できていました。ただ、その前の部分、

「たっぷりと何かに時間をかけること」

との結びつきがよく分からなかったのです。


△時間を私の側につけなくてはならない。

【騎士団長殺し】p71に出てくるフレーズ

曽我はまだ「騎士団長殺し」を全部読んでいません。1Q84以来長編は7年も待たされていたのです。じっくり読み進めたいです。しかし、第1部「顕れるイデア編」を読み始めて「ねじまき鳥」系の流れを確認できたところで、心おどってドキドキが止まりません。そこでp71まで貪るように読んだところ、こんなフレーズがありました。

とにかく、どこかで流れが間違った方向に進んでしまったのだ。時間をかける必要がある、と私は思った。ここはひとつ我慢強くならなくてはならない。時間を私の側につけなくてはならない。そうすればきっとまた、正しい流れをつかむことができるはずだ。その水路は必ず私のもとに戻ってくるはずだ。

ここまで読んだとき、長年の疑問が解消されました(少なくとも私の中では・・・ですが)。

to live well(よく生きること)の中身の話

21世紀に生きる我々は、「早さ」という概念に対して変更を迫られている気がします。早く作っても、早く処理しても、その結果が雑であれば見向きもされない、ということです。

なぜか。たくさんものがあふれるようになって、生産過剰になっているからです。

私は小さい頃から要領がいい方で、自分で言うのもなんですが、ものごとに対しての飲み込みの早いほうでした。しかし、何でも早く雑にこなしてしまう癖がついているせいで、技術が深まっていかない、という重大な欠点を持っています。

とにかく早く、雑にこなしているうちにだんだんと下手になっていく、という現象が起こるのです。ここで、大きな転換が期待されているのは言うまでもありません。

時間をかける。ゆっくりと丁寧にやる。丁寧に物事に当たるとき、それが成就するとき確かに不適な、不遜な気持ちになることがあります。

「これだけ時間をかけて、しっかりとやるべきことをやった。誰にも邪魔されなかった。ざまあ見ろ」。さて、誰に対して復讐した気になるのでしょうか。

つまり時間をかける、とはto live well(よく生きること)の中身の話なのです。時間の流れを自分の側につけること。ただ生活のために流されていく人生を送るのはなく、内的な充足を得つつ、自分に納得しながら生きるためには時間が必要です。

どれだけの時間が必要なのかは本人にしか分かりません。ただ、時間の流れが自分の味方についてくれたとき、つまり自分が内的に求めていることを得られる感触があるとき、そこで初めて、

I’m living well.

と自分に言い聞かせることができるでしょう。仮に復讐したい相手がいるとすれば、自分自身にたっぷりと時間をかけ、時間の流れを見方につけることが、to live wellにつながり、翻って、洗練された形でthe best revengeとなるのです。

疑問を投げっぱなしにして回収しない、という批判

村上春樹の小説には「疑問が回収されず、読者に投げられっぱなしで小説的責任を回避している」などという批判があるようですが、放置ではないのです。小さな声で語られる、良いニュースをこつこつと拾いながら読みたいですね。

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「騎士団長殺し」における「ねじまき鳥」の謎解きについてみなさまからのご意見をお待ちしております。

参考資料・価格・PDF


△村上春樹最新書籍「猫を棄てる 父親について語るとき 」。もうみなさんは読まれましたか? お父様の第二次大戦とその早期の帰国に絡めて話が進むようですね。やはり、ねじまき鳥の、木の上に上って帰らない猫との関連が気になります。自分のパートナーとは関係の解消は可能なのかも知れないが、親と子、子供の親の関係は一章切ろうと思っても切れないものですから。

参考資料は全てPDF形式で閲覧可能です。サイトが突然消えても記事は閲覧できるようにPDF形式で保存しておきました。発信元ソースは下記に明示する通りです。ご安心して閲覧くださいませ。

村上春樹研究所「ねじまき鳥クロニクル」の名言集

村上春樹『騎士団長殺し』の装幀が生まれるまで。 | カーサ ブルータス

2019.3.1